愚者のジャンクション「復讐はいけないことだからです」

くっっっっそ面白い作品だとは思ってるしすっごい大好きな作品ではあるんだけど、実を言うと結びの一文「復讐はいけないことだからです」の意味がいまだによくわかってないんですよね。

いやまあ今下巻を読み返したら「みんな自分の身を守りたいから」っていうシンプルな回答がクライマックスに書いてあったんですけど。復讐は連鎖するものだから復讐をおおっぴらに許可しちゃうと自分もいつか刺されるかもしれない、それが嫌だから復讐を禁じる、まるで悪党の論理じゃないかって書いてたんですけど。

まあ、この世に真実なんかなくて、あるのは事実と都合のいい解釈だけらしいので……

 

まず復讐というのは連鎖するものなので、どちらかを完全に根絶しない限り、やられたらやり返す→それに対してやり返す→それに対して……で無限にループしますね。まあ端的に言って地獄です。

つまり復讐というシステムは地獄を生み出す装置なわけです。

実際本編でも止まれなくなった十文字はクライマックスで学校を地獄に変えてますし。下巻291ページ、青山の『だが、諸々間に合わなかったな。十文字が助かれば復讐は続く。十文字が助からなければ翡翠が地獄を作る。我が輩は、やる時には徹底的にやるぞ』って一文が僕はすごい好きです。この話の主要人物ってほとんどが高校生のはずなんですけどその気になれば地獄くらいは作れる高校生なんですよね。望めば地獄を作れるってことが当然の前提として共有されているんですよね。すごいね特進科。それはともかく。

とにかく、「やられたらやり返す」というシステムを認めてしまうと無限の復讐地獄が生まれてしまうわけです。まあたいていの人間は地獄なんか望んでないと思うので、良識あるフツーの人間は「復讐はいけないこと」だと言うわけです。

でも、その理屈はやられた側からするとたまったもんじゃない。やられたのにやり返すことも許されずやられっぱなしでいろと言われる。『その言葉を盾に、お前らが笑って、俺たちが泣いてるんだろうが!!』って絶叫がそれですよね。書いてて思ったけどここまで当たり前の話しかしてねえな。まあ前置きはこのくらいにして……

でも、下巻の最後には『ストレスは他人に擦り付ける方が気持ちいい』っていう灰賀選手の発言があるわけです。そして、上巻主人公である十文字に対しては「復讐が彼のアイデンティティ」「彼はただ復讐がしたいだけ」みたいなことも言われているわけです。

つまり復讐って気持ちいいんですよ。「死んだ新谷のため!」っていう大義名分があるならなおさら気持ちいい。「部外者が何を言おうと、自分は正しいことをしているんだ!」って確信が持てるので。「新谷が殺された」「もう二度と会うことはできない」っていうストレスは、新谷を殺した犯人に擦り付けたほうが気持ちいい。

でも、新谷は無辜の被害者じゃなかった。彼女もひとりの悪党だった。「やられたらやり返す」システムで行くならやり返されて当然の人間だったわけですね。

十文字はやられたらやり返すメソッドを肯定してきた側の人間なので、「新谷のために」と動く彼も「新谷も実は悪党だった」と知れば白丁花の復讐を認めるしかないはずですよね。本編では結局最後まで知ることがなかったけど、「新谷が悪党だったと知れば、十文字は復讐という行為そのものに向き合わなくてはならなくなる」ってどっかで言ってましたね。

 

で、ここからが僕にとっての「都合のいい解釈」なのですが。

「復讐」という行為そのものと向き合える人間って実はあんまりいないんじゃないか?っていうのが、僕の思う「復讐がいけないことである理由」です。

 

「復讐は新しい復讐を生むだけ」っていうのはもはや復讐を止める決まり文句みたいなもので、それに対して「じゃあ泣き寝入りしろっていうのか」って返すのも決まり文句なんですけど、

これ、復讐を止める側はもちろん、たぶん復讐を実行する側でさえ、「復讐は新しい復讐を生むだけ」っていう言葉の意味とちゃんと向き合えてないんじゃないかな?と。

 

それまでの飼育部は相手を完全に根絶することで復讐の連鎖を断ってきましたから、「新谷が復讐される→その復讐に対して復讐する」って形で実際に復讐が連鎖するところを見るのはこれが初めてだったと思うんですよね。

「復讐は新たな復讐を生むだけ」って口で言うのは簡単ですし否定するのも簡単ですけど、実際に生まれた新たな復讐を目の当たりにしたことがあるのかって話で。

 

十文字には「新谷の仇を取る」っていう目的がありましたけど、大義名分という眼鏡をかけてしまった復讐者には「事態を客観的に見る」ってことができない。

「やられたらやり返す」という理屈はこの世に地獄を顕現させるシステムで、復讐というのは本来とてもとても重たい行為です。地獄を作る覚悟がある人間以外はやっちゃいけないことのはずなんですよ。

でも実際のところはどうかというと、大事な人を亡くして復讐を決意した復讐者にあるのは悲しみと、あとは憎しみくらいです。そして復讐者は悲しみと憎しみに酔ってしまう。悲しみと憎しみという色眼鏡をかけた復讐者には、復讐は地獄を作る行為だとか、復讐には覚悟が必要だとか、そんなこと一切目に入らない。「そんなこととっくにわかってる」「とっくに覚悟の上だ」って本人は言うでしょうけど実際はわかってないんですよ。大事な人の無念をどう晴らすかで頭がいっぱいになっていて、復讐という行為について深く考える余裕がない。正気で向き合っても地獄しかない理屈に狂気の人間が向き合えるわけがない。「覚悟はできてる」「わかってる」って口だけならいくらでも言えるけど彼らは地獄を軽視しすぎている。”地獄”ってそんな安っぽい言葉じゃない。そこにあるのは本当の地獄なんだけど、復讐に目が曇った人間にはそんなもの見えない。今自分が置かれた状況こそ本当の地獄だと思っているから。

「復讐は新たな復讐を生むだけ」って、すごい安っぽい言葉に聞こえますけど、じゃあおまえはこの言葉に本気で向き合ったことがあるのか?っていうと、「そんなことができる人間はいない」ってことになるんじゃない?と。だからこそ「復讐はいけないこと」なのだ、と。

 

日ごろツイッターで回ってくるフィクションにおける復讐の扱いに関して一家言あるんですよ~みたいなツイートがもう本当に気に入らなくて気に入らなくてしょうがない僕にとっての"都合のいい解釈"はそんな感じなのですが。

でもまあ、これはあくまで僕が被害者の立場にいないから言えることであって、実際誰かに痛めつけられて復讐を決意してる人の前に「おまえ本気で復讐っていう行為そのものと向き合ったことあんのか?」とか言いに行ったらぶち殺されるだけだよなあ、とはちょっと思う。

 

web小説「レギュレスの都」についての感想

こういうweb小説についての感想、サイトのコメントフォームにぶち込むには長すぎるし、かといって作者のブログのコメント欄にぶちまけるのもなんか…ねえ?って感じだし、twitterで語るもんでもないしで書く場所がないんですよね。

そういうわけで、作品のURLは→こちら

 

以下、久しぶりに読んで書きなぐった感想です

 

 * * *

 

 

冒頭の「これは鼠が猫になろうとする物語だ」って一文はつまり黒魔法を使って強くなろうとした塵のことを指してるんだよな、
でもこういう「頭に置くワンフレーズ」が主人公の双我じゃない別のキャラを指してんのちょっともったいなくねえかなあ、
みたいなことを読み直して考えていたのですが、よく考えるとこれ双我のことでもあるっちゃああるのかな?

才能のある人間が猫、ない人間が鼠、というふうに分けられてはいるものの、
でも猫の中にもずば抜けて強い猫(リリス)とそうでもない猫(双我)がいるわけで、
言ってみれば「猫の中の猫」と「鼠寄りの猫」みたいな切り分けができるじゃないですか。
実際作中でも「鼠は猫になれないが、猫と同じくらい大きく肥え太ることはできる」みたいなことを言ってるわけだし、
双我は虹の爪牙抜きの決闘だと塵に負けてるわけだし、
あと、リリスも最終的には鼠にとって食われたわけだし。

たとえるなら、アマチュア作家(鼠)とプロ作家(猫)の間には大きな壁があるけれど、
でも「プロ作家」という枠の中にだって才能の壁はあって、超ド級の天才(リリス)もいればそこそこレベルの作家(双我)もいる、みたいな……

このたとえ話が適切かどうかはともかく。
「猫と鼠」っていう絶対的な隔たりをイメージさせるような表現をしておきながら、
実際の内情はもうちょっと複雑なことになっている、ってのがちょっとわかりにくいよなあと、読むたび思っていたのですが

考えてみれば、猫より強くなるために黒魔法を使った塵と、リリスについていくために面汚しの汚名とともに虹の爪牙を手に入れた双我と、
もしかして、二人のやってることってそんなに違わないのかな? と、2017年、いまさらになって気づきました
となると、「鼠寄りの猫」である双我が「猫の中の猫」であるリリスについていこうと虹の爪牙を手にするのもまた「鼠が猫になろうとする物語」なのかなあと。

才能の有無っていう絶対的な壁が存在する世界で、それでも、何とかして「上」の連中に食らいつくために手を尽くす「下」側の人間、
という点で双我と塵には共通するところがあり、「レギュレスの都」という作品はそういう「下」側の人間の物語だ、みたいに言うことができるのかな~、と
まあこれは「悲しい終わり方で幕を閉じる」物語なので、「上」に手を伸ばした塵は死ぬし、
手を伸ばされる側だった、仰ぎ見られる「上」側の人間だったリリスも、使い潰されて壊れてしまって、最期まで利用されつくして死ぬわけですが
「上」も結局はそんな有様となると、塵の伸ばした手はどこに向けるのが正解だったんだろうな……
どこに向けてもしょうがねえのかなあ。「それではどこへも辿り着けない」んだよなあ。


で、結局これは何が言いたいのかって話なんですけど。
クライマックス、「攻撃をかわす気にどうしてもなれなかった」のシーンが前々からあまり好きじゃなくて、
気持ちはわからなくもないけどここでそんなことされてもさあ……なんだよ舐めプかよ……いや気持ちはわかんなくもないけど……
みたいな気分に読むたびなっていたのですが、双我と塵には重なるところがあるのかな、っていうのを念頭に置いた上で見直すと、
またちょっと違った感想になるな…… という話でした

再利用

やっぱメモ帳みたいなの欲しいよなと思って新しくブログ作ったんですけど、

よく考えるともともとブログ持ってたよな、ってのを思い出したので再起動です

2015年とか2014年とかそのあたりからのタイムマシンなので、今見るとうわあ痛いこと書いてると思ったりもするのですが まあ、そういう機能も期待して作ったブログだしな……

またまたどうでもいいんだけど

兵隊と酒飲んで話し合えばそれでなんとかなるみたいな意見に対してじゃあ今から俺がなんとなくイラッとしたからレベルの動機であなたを殺しますのでそれを説得してください、みたいなこと言ってるツイートを見て
話の通じない人ってのは居ると思うしどうしようもない理由で殺しに来る人ってのもいるだろうから、それはそれで合ってると思うんだけど
さすがに国家同士の話となるとなんとなくイラッとしたからレベルで戦争しにくるとこは無いでしょうってちょっともやっとした

でも兵隊と話し合えばなんとかなるってのも流石に何言ってんのかわからないので、つまり話の始まりから何もかもがおかしい

どうでもいいんだけど

SEA/LDsって字面、最初見たときから今までずっとseal(封印とかそういう系の)とshield(盾)を引っ掛けた感じの名前なんだろうなって思ってたんですけど、今調べたら全然違いました(でも盾になるみたいなこと言ってるから一応かかってはいるんだろうか)(普段政治ツイートをしないためtwitterには書けないのでこっちに書く)

思いのほか仕送りの日程が早かった

ワインどころか酒のさの字も知らないけど、店でボジョレーヌーボー2014とやらを見かけて

ああこれが噂のまずいワイン!と思わず買ってしまいました。1000円ちょっとでした。

 

なんつーか、ワインって子供の頃からそのぶどうジュースみたいな見た目で甘い飲み物だとばかり思ってたんですが、あれですね、きつい(前にワンコインで買った白ワイン@ローソンは甘かったけど) いやきつい

クマの話

クマを殺していいかどうかっていうのは議論の原動力にはなっても主題にするものじゃないのでは。

そりゃまあ殺さずに済むならそれに越したことはないよな~くらいのことは大なり小なり誰でも持ってる感覚でしょうし。

だから、クマを殺すのがよくないのであればクマを殺さず対処する手段を提示するべきところであって、

しかし現状その手段である罠や麻酔銃では不十分だと実際被害を受けている人たちが感じているわけで。

「人の命を奪うのはダメでもクマの命なら奪っていいのか」って話じゃなくて、現状では「奪っていい」じゃなくて「奪うしかない」わけなんですから。

となれば本当に不十分なのかなぜ不十分なのか、それらの改良・改善はできないのか、もしくは別の案はないのかとそういうことを考えるべきであって、

間違っても「人間の都合でクマの命を奪っていいのか」なんて話で盛り上がるなんてことにはならないのでは?

そういう倫理的人道的な議論は命の保証と余裕がある時にだけできる話なわけで。

実際クマの被害に遭ってる人にはそんなのないわけなんだから。