web小説「レギュレスの都」についての感想

こういうweb小説についての感想、サイトのコメントフォームにぶち込むには長すぎるし、かといって作者のブログのコメント欄にぶちまけるのもなんか…ねえ?って感じだし、twitterで語るもんでもないしで書く場所がないんですよね。

そういうわけで、作品のURLは→こちら

 

以下、久しぶりに読んで書きなぐった感想です

 

 * * *

 

 

冒頭の「これは鼠が猫になろうとする物語だ」って一文はつまり黒魔法を使って強くなろうとした塵のことを指してるんだよな、
でもこういう「頭に置くワンフレーズ」が主人公の双我じゃない別のキャラを指してんのちょっともったいなくねえかなあ、
みたいなことを読み直して考えていたのですが、よく考えるとこれ双我のことでもあるっちゃああるのかな?

才能のある人間が猫、ない人間が鼠、というふうに分けられてはいるものの、
でも猫の中にもずば抜けて強い猫(リリス)とそうでもない猫(双我)がいるわけで、
言ってみれば「猫の中の猫」と「鼠寄りの猫」みたいな切り分けができるじゃないですか。
実際作中でも「鼠は猫になれないが、猫と同じくらい大きく肥え太ることはできる」みたいなことを言ってるわけだし、
双我は虹の爪牙抜きの決闘だと塵に負けてるわけだし、
あと、リリスも最終的には鼠にとって食われたわけだし。

たとえるなら、アマチュア作家(鼠)とプロ作家(猫)の間には大きな壁があるけれど、
でも「プロ作家」という枠の中にだって才能の壁はあって、超ド級の天才(リリス)もいればそこそこレベルの作家(双我)もいる、みたいな……

このたとえ話が適切かどうかはともかく。
「猫と鼠」っていう絶対的な隔たりをイメージさせるような表現をしておきながら、
実際の内情はもうちょっと複雑なことになっている、ってのがちょっとわかりにくいよなあと、読むたび思っていたのですが

考えてみれば、猫より強くなるために黒魔法を使った塵と、リリスについていくために面汚しの汚名とともに虹の爪牙を手に入れた双我と、
もしかして、二人のやってることってそんなに違わないのかな? と、2017年、いまさらになって気づきました
となると、「鼠寄りの猫」である双我が「猫の中の猫」であるリリスについていこうと虹の爪牙を手にするのもまた「鼠が猫になろうとする物語」なのかなあと。

才能の有無っていう絶対的な壁が存在する世界で、それでも、何とかして「上」の連中に食らいつくために手を尽くす「下」側の人間、
という点で双我と塵には共通するところがあり、「レギュレスの都」という作品はそういう「下」側の人間の物語だ、みたいに言うことができるのかな~、と
まあこれは「悲しい終わり方で幕を閉じる」物語なので、「上」に手を伸ばした塵は死ぬし、
手を伸ばされる側だった、仰ぎ見られる「上」側の人間だったリリスも、使い潰されて壊れてしまって、最期まで利用されつくして死ぬわけですが
「上」も結局はそんな有様となると、塵の伸ばした手はどこに向けるのが正解だったんだろうな……
どこに向けてもしょうがねえのかなあ。「それではどこへも辿り着けない」んだよなあ。


で、結局これは何が言いたいのかって話なんですけど。
クライマックス、「攻撃をかわす気にどうしてもなれなかった」のシーンが前々からあまり好きじゃなくて、
気持ちはわからなくもないけどここでそんなことされてもさあ……なんだよ舐めプかよ……いや気持ちはわかんなくもないけど……
みたいな気分に読むたびなっていたのですが、双我と塵には重なるところがあるのかな、っていうのを念頭に置いた上で見直すと、
またちょっと違った感想になるな…… という話でした